◆背景・目的
 世界人口の20%にあたる12億人の人々が安全な飲料水を得ることが出来ずにいる。水が原因とされる病気で、8秒に1人の割合で小さな命が失われている。
 人口増加、生「水の世紀」、21世紀はそう呼ばれている。
活レベルの向上、開発や都市化。様々な要因が重なり合い、水を巡る深刻な事態は、紛争を巻き起こすまで、急速に悪化の途をたどっている。そのような中、地域による格差、そして貧富の差が激しいメキシコでは、上下水道などの衛生環境の整備が充分には行き届かず、きれいな水さえ買うことのできない人々が、安全とは言えない池や川の水を飲料している。
 このような状況を受けて本協会は日本ポリグル(株)と協力し、水質浄化剤を併用したろ過装置「ポリグル方式100(井戸)」を作る活動を、メキシコにて行う。この活動を通じ、現地における浄水技術の普及と生活環境の向上を図ることが本プロジェクトの目的である。


◆活動期間
2006年9月4日〜16日(13日間)
◆参加人数
本協会会員16名 日本ポリグル(株)社員6名 通訳1名
トセパン協同組合関係者約10名
テペティタン村民約50名(作業約30名、食事等補助約20名)
                                 計 約80名
◆活動地域
メキシコ合衆国 プエブラ州 テペティタン村
 メキシコ合衆国の中央部に位置するプエブラ州は、北部の山脈地域を中心としてメキシコの先住民族であるナウアトル族が多く居住する地域でもある。この地域では生活インフラの整備がまだ充分には行われていないため、テペティタン村では飲料水・生活用水を湧き水などに頼って生活している。他方で生活排水や家畜の排泄物などは下水処理を経ずにそのまま川へと排出されている。また、本来はメキシコで二番目に雨が多いといわれる地域であるが、乾季には降水量の減少に伴い河川の水量が極端に減少するため、汚水が希釈されること無く川に流入し、飲料水はもちろん生活用水としても使用できず、下流の村にまで深刻な被害を及ぼしている。


◆活動内容
 初日の作業は浄水装置の材料の運搬と設置場所の土台作りが主になった。特に運搬作業は小石や炭といった一見軽そうな材料を運ぶのだが、袋一杯に詰めたならば重さは20kg近くにも及び、それを背負って滑りやすく急な山道を上り下りするのはかなりの重労働であった。
 肉体労働が主体であったが隊員の中には針金でつくられたろ過槽の型にセメントを塗る作業に携わる者もいた。少しコツの必要な作業で、始めは皆上手くいかなかったが、徐々に慣れてくると、熟練の職人のようにはいかないまでもなかなか様になっていた。
 前日の作業に加え砂と小石の選別作業が加わった。材料の中でも小石と砂が混ざってしまったり、小石の大きさが揃っていなかったりするため、ふるいにかけて選別していく。前日におおまかに外側を塗り固めておいたろ過槽を所定位置に設置してゆく。本当ならばこの日のうちに下の3槽を完成させたかったのだが、突然の大雨に早期撤収せざるを得なかった。セメントが乾くのに時間がかかる関係上、今日でなんとしても3つのろ過槽を完成させなければならない。隊員たちは長期戦を覚悟して現場に望んだ。
 現地の職人の方々、そして村の人々と協力して、材料を運び、セメントを練り、そしてろ過槽を仕上げてゆく。幸い天候も味方して、雨に妨げられる事も無く3つのろ過槽は完成。そしてその上部に設置される2 つの凝集槽も外側を塗り終える事ができた。この日にはまた新たに河川ろ過装置の作製という作業が加わった。ろ過槽によって処理を行う前段階として、まず河川をある程度ろ過しておくための装置である。滑りやすく危険な水場での作業となったが、皆臆することなく作業を行った。ヘルメットまで準備した甲斐もあり、幸い誰も大きな怪我をすることも無かった。前日の健闘の甲斐あって、この日にはろ過槽に小石や砂を敷き詰め、水を注水することが可能になった。幸い水漏れも無く、始めは砂の汚れで濁っていた水も流し続けるうちに徐々に澄んだ色へと変わっていった。河川ろ過装置も完成を迎え、一目で分かるほどの驚くべきろ過能力を見せつけた。炭や小石などを何度も何度も運び続けた苦労が報われた瞬間であった。ほとんどの作業は終わりを迎えており、私たちは少しでも村の人々が使いやすいようにと、ろ過装置の脇に階段を設置した。現地の人々のやり方を見よう見まねで作製した、セメントも使わない、石と土だけの文字通り手作りの階段である。
 そして最後にこの活動に参加した人々の名前と「和」という一文字、そしてメッセージをろ過装置に記した。それが本報告書の表紙の写真である。そこでは見ることができないが横にスペイン語でこう記されている。
「和の心を遠くメキシコの地へ」この地を訪れる人々が平和に、和やかに暮らしていく未来を願い、日本からの心を込めて。
◆プロジェクトリーダー所感
京都大学大学院 修士課程2回生 五十嵐光

 今回のプロジェクトは様々な面で新しい試みだった。初めてのIVUSAアジア外、初めてのメキシコ、そして私自身、リーダーという責任を担う事になるのは初めてだった。出発までの期間、自分に与えられた役割について何度も考えていた。プロジェクトの目的である水質ろ過装置の作製。現地の人々との交流。日航ホテルでのプレゼンテーション。そして何より重要な隊員の安全管理。しかし、いくら考えてみてもほとんど何一つ具体的な想定ができなかった。自分の経験の無さを悔やみながらも、「とにかくやるだけやるしかない」と自らに言い聞かせ、99月4日、日本を発った。 メキシコという国に対して私が抱いていたイメージは極々ステレオタイプなものだった。激しく照りつける太陽の下、サボテンだけが辛うじて生えている荒野で、ポンチョを着てお決まりの帽子をかぶった陽気で友好的なラテン系の人々が「アミーゴ!」と叫びながらテキーラを飲み交わす。その程度の認識だった。日付変更線をまたぎ、メキシコに到着したのは現地時間での9月4日の夜。現地について早速、初めの「メキシコは暑い」というイメージが覆された。首都メキシコシティは標高2240mに位置する高原都市で、9月の初頭でも平均気温は17℃程度。夜には涼しいというよりは若干肌寒いほどであった。
 無数にそびえ立つ高層ビルと、日本を上回るのではないかと思われるほどの交通渋滞に圧倒されながら、その日は郊外にあるホームステイ先のお宅へと向かった。もう遅い時間にも関わらず、受け入れ先のご家族は快く私たちを迎え、温かくもてなして下さった。
 「メキシコにはmi casa es tu casa(私の家はあなたの家)という言葉があるのよ。だからここを自分の家と思ってくつろいでちょうだい。」 そのお母さんの言葉に、自分の浅はかなメキシコへのイメージの中でも、「友好的な人々」ということだけは間違っていなかったと確信させられた。
 翌日、メキシコシティを後にして今回の作業現場となる村があるプエブラ州へと向かった。シティを出てしばらくすると、周りの風景が一変した。高層ビルに代わって見えてきたのは一面に広がるスラム街。通り過ぎただけでも人々の苦しい生活が想像できる。メキシコが抱える貧富の格差の一端が見えたような気がした。それからさらに高速バスで6時間、延々と続く平原と山道を経て今回のプロジェクトのカウンターパートであるトセパン協同組合の本部、クエツァラン村に到着した。
 そこで先発隊として現地入りされていた日本ポリグルの方々と合流した私たちは、トセパン協同組合の活動内容を見せて頂いた。先住民の人々の権利の保護と生活の向上を目的とするNGOであるトセパン協同組合は、農業技術指導を始め、先住民文化の保護と普及、女性の地位向上のための組合の結成など多岐にわたった活動を地域に根ざした形で行っていた。特に印象に残ったのは、無農薬の有機農法で作られたコーヒーを「トセパン・コーヒー」として、メキシコだけでなく海外、遠く日本にまで売り出しているという話だった。普通であれば大企業によって安く買い叩かれてしまうコーヒーを、独自のルートで生産・管理・販売することによって、直接現地の人々に利益が還元されるようにする。日本でもまだまだこれからと言われている、コミュニティ・ビジネスの一種を既に実施していることに驚かされた。
 明けた9月6日よりいよいよ現場での作業が始まった。現場となったのはクエツァランから車で30分のところに位置するテペティタン村。メキシコの先住民族であるナウアトル族の村である。村を流れる川の水を浄化するためのろ過槽を設置する作業であるが、技術的な問題は手伝えることにも限りがあるため、私たちは材料となる小石や砂の運搬、セメントの作製や土台作りなどの肉体労働を現地の村人たちと協力して行った。設置現場は全くの山の中で、文字通り山を切り開いての過酷な作業となった。お互い言葉もほとんど通じない状態での作業であったが、一日一日と一緒に作業してゆく中で、徐々に笑顔を交わすようになり、初めは訝しがっていた村人たちも心を開いてくれるようになった。 夜は村の倉庫に泊まらせてもらっていたのだが、何日か経つと村の子どもたちが毎日のように遊びに来るようになった。現地の人々との交流をどうするべきかと悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなるくらい、子どもたちは果敢に私たちに挑みかかってきた。スペイン語の辞書を片手に話をする者、子どもたちと一緒に駆け回る者、隊員たちはみなそれぞれのやり方で確かに交流を行っていた。五日間の作業の末にとうとう装置も完成を迎え、ろ過槽には参加者たちの名前と、様々な想いを込めて「和」という一文字が記された。最終日の夜には村の祭りに参加させて頂き、みな慣れないダンスに戸惑いながらも村の人々と一緒に楽しいひと時を過ごした。
 翌日の早朝、お世話になったテペティタン村を後にクエツァランへと戻った。その日は一日、休養と観光を楽しみ、トセパン協同組合のメンバーとサッカー日墨対抗戦も行った。夜には歓送会が開かれ、ナウアトル族の伝統舞踊や心尽くしの料理を振る舞って頂いた。最後にお返しとして、日本の歌として「ふるさと」を歌った。今回のプロジェクトによって、いつまでもきれいな水が村に流れ続ける事を願って、「水は清きテペティタン」と。 現場での作業を終えメキシコシティに戻った私たちを待っていたのは、それまでと全く異なるメキシコの姿だった。メキシコポリグル設立を記念しての日航ホテルでのパーティーを始めとして、日本ポリグルによる水質浄化実験を兼ねた資産家の別荘でのガーデンパーティー、主に日系人の方々を中心とする日墨協会との交流と、メキシコにおけるトップクラスの生活と文化を体験させていただくことになった。そこではメキシコ料理の美味しさや、経済面でのこの国の潜在能力、様々な歴史的・文化的背景などを改めて知る事ができた。
 今回のプロジェクトでは先住民の人々の暮らしから、エリート階層の生活まで、メキシコの様々な面を目にすることができた。しかしながら私たちが見たのもあくまでメキシコのもつ一面でしかなく、スラムの貧困層やアメリカへの不法移民といった問題、また誰からも支援も受けられないような先住民の人々がどれだけ苦しい生活を送っているのか、私たちはまだまだ知らないことが多い。この最初の一歩をきっかけとして、これから私たち日本人は彼らと共にどのように歩んでゆくべきなのか、改めて真剣に考えていかなければならない。 私の手帳の一ページに残されたDANIELとJUANという落書き。その二人の少年たちの笑顔を思い出しながら、そう心に誓う。
最後に日本ポリグル株式会社を始め、メキシコポリグル、トセパン協同組合、テペティタン村の皆様、そして様々な形でこの度の活動を支えて下さったすべての関係者の皆様に、心より御礼申し上げます。
◆協力・支援団体
■日本ポリグル株式会社
 日本ポリグル株式会社(小田会長は本協会特別顧問)は、「世界中の人々が安心して生水を飲めるようにすること」を理念に、生分解性凝集剤を用いた水処理事業を行っている。今年3月にメキシコで開かれた「世界水フォーラム」にも出展しており、『災害と水』をテーマに、水質浄化装置のデモンストレーションなどを行った。

■メキシコポリグル
■日系青年会
■トセパン協同組合(NGO)