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>ID/パスワードを忘れた方はこちらから2月19日から3月1日まで第七次インド住宅建設活動を学生72名と事務局1名で行いました。
19日の朝、成田空港を出発し、10時間かけてデリーの空港に移動しました。
到着した翌日の20日、ウッタラカンドの州知事とお会いすることができ、このプロジェクトをを激励してくださいました。翌日からは計2日間かけて電車とバスを使い、今回の隊の主な活動場所であるウッタラカンドのチャンドラプリ村に到着しました。
22日から本格的に作業に入りました。作業内容は、主に石と川砂の運搬でした。額あてのついたロープを頭につけ、傷防止のための土嚢を背中に乗せて石を背中にたれたロープにくくりつける運び方を、現地の住宅建設に携わってらっしゃるスタッフの方に教えていただきました。
私たち学生が宿泊した場所の近くを流れるマンダーキニー川から砕いてセメントの中に入れるメタルと呼ばれる鉱物の石を拾い、濁流によって削られた岸壁をのぼり、交通量の多い道路を超えて、急こう配の坂道を250メートルほど駆け上がり、小高い山の上にコミュニティホールを作るセメントの材料を運びました。
これらの作業を基本的に25日の最終作業日まで続けました。24日はこの工程の他に、住宅の鉄骨を作る作業と、セメントを作る作業も加えられました。鉄骨を組み立てる部隊は、鉄骨を32インチに切り分け、四角く曲げたものを長い鉄骨に数多く取り付け、大きな柱を作りました。
セメントを作る部隊は、メタルと呼ばれる石と河原から集めた砂を2:1に混ぜ、水を足していってクリーム状になるまでまんべんなくならしたものを家の土台となるところに流し込みました。この日の成果としては、鉄骨部隊は2.5家分の鉄骨を作成し、土嚢は19名が約3時間で120袋を運び、セメント部隊は一軒分に必要な柱9本すべて、また、2.5軒分の鉄骨で作った柱を立てることができました。
25日の作業終了時までに運び終わった河原の砂とメタルがどれだけの住宅を建てられるまでに上ったのか、正確な数値は分かりませんが、作業時に何度も地元のインドの方が土嚢を運ぶのを手伝ってくださる姿が見られたり、日本の学生も現地の方との交流を自ら進んでしにいったりと、作業する中でコンセプトにもある、インドの方の明日を生きる「ミチシルベ」になれるような、希望を置いてこれたような内容になっていたと思います。
26日はインドの小学生と日本の学生の出し物を披露しあう交流会が開かれました。インドの小学生は踊りや歌を披露し、日本の学生はよさこいソーランや空手、剣道や歌を披露しました。このような異文化交流でも、言葉が通じなくても心が通じ合っているような感覚をたくさん感じることができました。
中でも、毎日参加させていただいたバジャンでは心のつながりを感じることができる時間でした。バジャンとは、夕方に村の方々が神様に思いをはせながら一緒に歌を歌いながらお祈りをすることで、学生も一緒に歌い、踊りました。私たちが日本の曲として隊の歌である「風になりたい」歌った際も、笑顔で体を揺らしてくれました。
「豊かな心」に触れながら行われた活動でした。3月1日の帰国の際には、大きなケガなく体調不良者もなく無事に帰ってくることが出来ました。
この活動には、多くの方に支えられ活動を終えることが出来ました。関係者の方々には、こころより感謝し、お礼申し上げたいと思います。(同志社大学2年 古川 結美乃)