
継続的に復興を目指した活動を行うことを決定した私たちは具体的に何を進めていくかを考えだしました。
しかし、その時はすでに中越大震災の発生から1年以上が経過しており、栃尾での活動を検討するものの、大勢の学生を必要とする活動はほとんどありませんでした。
そんな中、こんどは中越大震災の被災地を豪雪が襲いました。2005年(平成17年)12月から2006年(平成18年)2月にかけて発生した大雪は、のちに平成18年豪雪と呼ばれ、災害救助法も適応されるほどの記録的大雪でした。
もちろん、栃尾も例外ではありませんでした。
すぐに桑原望(長岡市議)が栃尾を訪れたところ、仮設住宅だけでなく震災前まで住んでいた住宅も除雪しなければならないこと、高齢化が進み連日の積雪に対応できないこと、そして仮設住宅の耐えられる積雪量をすでに超えているという現状がありました。
私たちにとっても除雪のボランティアの経験はほとんどなく、危険が伴うことでしたが、「やるしかない」というのが私たちの想いでした。すべては「被災地・被災者のため」
私たちはすぐに準備に取り掛かりました。
一方、受け入れる栃尾の住民の方にとっても大変な決断だったと思います。
これまで外部からボランティアを受け入れた経験がほとんどないにもかかわらず、100人を超える学生を受け入れることになったのです。
しかし、仮設住宅の千野義夫区長(当時)の「責任は自分が取る」という一言で、平成17年12月26日、首都圏から大型バス二台乗った学生100人が栃尾を訪れ、栃尾での除雪ボランティアは実施されることになりました。
活動を行うにあたり、桑原は一つだけ住民の方にお願いしていたことがありました。
それは、住民の方が除雪の仕方を学生に教えてあげてほしいということでした。
学生と住民とが、ボランティアする側・される側ではなく、ともに復興を目指す仲間になりたいという想いからでした。
仮設住宅や半蔵金集落、栗沢山集落で学生と住民で除雪活動を行い、仮設住宅の屋根の雪はすべて下ろされました。
家の脇にあった雪も除雪され、住宅には久しぶりの光が差し込みました。
除雪している最中も学生と住民との笑い声が聞こえ、活動は成功に終わりました。
こうして私たちと栃尾は再び出会いました。
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