
中越地震の発生から仮設住宅の撤去までの間、私たちIVUSAと栃尾の一連の物語(活動)は、第一章でした。
震災から、5年が経とうとしており、表面上震災の影響はほとんどみられず、道路などの「復旧」はほぼ終了しています。
しかしながら、中越地震の影響で見えてきたのは、日本の原風景のような中山間地といった地方の衰退でした。
IVUSAが活動を行う田代集落は、震災前は4世帯で震災の影響で二世帯と半減。
この田代集落は昭和40年代は、約40世帯だっったものの、当時は日本の人口が増加する中で、過疎化の進展などで、
20分の1の世帯数になったのです。
「IVUSA」と「とちお同住会」そして「田代集落」それぞれ、まったく違う団体ですが
IVUSAの先輩たちが作った物語の第一章は、三者を結びつけるたしかな「絆」を生み出しています。
私たちはそこに無限の可能性があると信じています。
全国的に、災害ボランティアは盛んになってきていますが、長期的な地域の活性化に成功した例はありません。
震災から5年後、地元紙「新潟日報」に特集が組まれていました。
そこに書かれていたのは「IVUSAの栃尾での活動以外は、すべて行き詰っている」というものでした。
IVUSAが行うプロジェクトが成功すれば、「栃尾の奇跡」と呼ばれるだろうと、注目されています。
私たちは継続的な活動こそがこの物語の第二章の始まりだと信じ、震災以降も栃尾地域の活性化を目指して、
拠点となる古民家を借り、栃尾の住民の方とともに活動を行っています。
畑を開墾し、作物を植え、田植え、稲刈りを行い、栃尾祭りや裸押し合い祭りなどにも積極的に参加するなど
地域の歴史に関わること。
これを「栃尾ふるさとづくり活動」と名付けました。
栃尾を第二のふるさとにするために。
※栃尾物語は2009年に書かれた原稿に加筆したものです。
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