「同じ被災者として何かできることはないか」
そいういった住民の方々。しかし同じ被災者といっても、遠いインドの津波の話。もちろんインドに行ったこともありません。
なによりも彼ら自身生活の再建の目途が立っておらず、まだ狭く寒い仮設住宅暮らしでした。
それにも関わらず、津波の被害にあったインドに支援をしたいという声があがったのです。
12月の除雪ボランティアから学生が東京に戻った後、住民の方はさっそく活動を開始しました。
仮設住宅の集会場に集まっては、インドの被災者のために千羽鶴を折り、寄せ書きを作り、賽の神(お祭り)では募金箱を設置。
住民の方がお金を出し合って文房具を集めました。
2月になり、再び積もった豪雪のため、私たちIVUSAの学生100人以上が仮設住宅を訪れました。
12月以上に雪は積もっていたにもかかわらず、住民の方たちに悲壮感はありませんでした。
「また学生に会いたかった」
「雪が消えないことを願ったよ(笑)」
そう話してくれた住民の方たちは笑顔にあふれていました。
夜の懇親会において集めた文房具、寄せ書き、千羽鶴が住民の方から私たちへと手渡され、NHKをはじめ、各種マスコミが
集まる中、私たちはどこか誇らしい気持ちにもなりました。
中越地震によって仮設住宅に住む人間は多くいたけれど仮設住宅に住みながら海外やほかの被災地の支援を行ったのは
おそらく栃尾の住民の方たちが初めてです。
こうして栃尾の被災地からのプレゼントはIVUSAによって海を超えました。

長かった冬も終わりをつげ、被災地にも春が訪れました。
4月後半、インドでの活動報告をしに、不自然に日焼けをした私たちは再び栃尾を訪れました。
住民の方たちに集まっていただき、感謝状の贈呈などを行ったあと、大きなスクリーンで映像を流しました。
それはこれまで行ってきた冬の栃尾での活動と灼熱のインドでの活動で構成された映像です。
そこには住民の方たちから送られた「復興を祈る」という横断幕が掲げられ寄贈された文房具をもった子供たちの笑顔が
映っていました。
その映像を見る住民の皆さんが涙を流していました。
自然と私たちも涙が出てきました。