二度目の春を迎えた被災地では、道路などの復旧も進み
栃尾の仮設住宅でも自宅を再建できた人など、仮設住宅を離れる人が増えてきました。
そんななか、仮設住宅を訪れると、住民の方からこんな声が聞こえてきたのです。
仮設を離れる記念と残った人を励ますために、花を植えたいと。
「それは素敵ですね」と答えると、住民の方は
「まぁ また学生さんに会うための口実だけどね」と笑ってくれたのでした。

こうして、06年5月、再び、私たちIVUSAの学生が訪れ、無機質であった仮設住宅に沢山の花を植えました。
そのなかで、一番多く植えたのが、ひまわりの種。
このひまわりにはちょっとした物語があります。
平成7年阪神・淡路大震災、
瓦礫のまちになった「阪神」に「瓦礫のまちにひまわりを」を合言葉に沢山のひまわりが植えられ、
阪神大震災の仮設住宅などで育ったひまわりの種が、どういうわけだが、栃尾に届いていたのです。

ひまわりを植える活動の頃になると、住民の方との絆はいっそうしっかりしたものになり
仮設住宅の集会場で、連日連夜山菜をつまみながら、地元のお酒を飲み、
泣き、笑い、多くのことを語りました。
仮設住宅の集会所でもっとも飲んだのは、栃尾の住民と私たちIVUSAメンバーではないでしょうか。

夏になるとひまわりは大輪の花を咲かせ、仮設住宅はにぎやかになりました。
その大輪のひまわりの花を見ながら、阪神大震災からのひまわりのバトンと次につなげたいと思い、
住民の方にIVUSAで世田谷の学校などにひまわりの種を寄贈したらどうでしょうか、と提案してみました。
すると、住民の方から、またも驚く返事がきたのでした。
「地震では全国からお世話になった。そのお礼で直接渡したい」
こうして、住民有志の方が直接上京し、ひまわりの種を贈呈することになりました。

そして、ひまわりの種は、世田谷の小学校などに寄贈され、小学校で課外授業も行いました。
ほとんど、上京することもなく、授業を行うことなんて考えられなかった住民の方は、
初めての経験を非常に喜んでおられました。

※後日談
このプロジェクトの発起人である桑原さんと住民の方のやりとりでおもしろいエピソードがありましたのでご紹介します。
上京するための車中で、桑原さんが住民の方に冗談半分で、「標準語でしゃべってくださいね」とお願いをした返事が
「おおごっつお」(たぶん、大変だという意味)だったこと。
そして課外授業が終わった後に、たたみかけるように桑原さんが「いい冥土の土産ができましたね」と言ったら、
誰も笑っていなかったことなど。。。