
当時、栃尾の仮設住宅は、栃尾市全域の住民が入居してきていました。
つまり、同じ栃尾といっても知らない人だらけだったのです。
阪神大震災で問題となった「孤独死」
これは、死後何日も誰からも発見されないことです。
つまり、それだけ、住民同士コミュニケーションがなかったという証拠なのです。
栃尾も知らない者同士の仮設住宅だったため、「孤独死」が起きる可能性は十分あったのだと思います。
しかし、IVUSAの活動がきっかけで、住民の方たち同士の交流も生まれ、そのような心配はなかったと後で聞きました。
「仮設住宅にずっと住みたい」という住民の方がいたことは驚きでしたが、
中越地震の仮設住宅の中で、もっとも住人同士の絆が生まれたのは、「栃尾」だったのではないかと思います。
そして時が経ち、栃尾の仮設住宅も住民がいなくなり、閉鎖されることとなりました。
閉会式の時、「仮設住宅同住会」を立ち上げることが発表されました。
これは、仮設住宅で過ごした絆で、今後も交流をつづけ、活動をしていこうというものです。
名称も「仮設住宅同住会」は「とちお同住会」と変更し、中越沖地震の被災地支援として、柏崎に花を植えたり、
体験を話すなどの活動や栃尾地域の各集落のお祭りに参加したり、栃尾地域で花を植える活動を行なっています。
ふと気がつくと栃尾の住民の方たちは、すっかりボランティア団体になっていた。
「IVUSAみたいになりたいんだよね」と同住会のメンバーは笑顔で話してくれます。
知っている限り、仮設住宅の入居者たちが、その後もこのような活動をしているのは聞いたことがない。
私たちの活動にはちゃんと意味があったと感じさせてくれた出来事の一つでした。
|